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Episode-続ける理由-

2009年にスタートした牛乳パックで紙相撲。始めたばかりの頃は<誰が紙相撲なんて見るの?><そんなのに人、集まるんですか?>と厳しいコメントを多く頂戴しました。心が折れ何度も辞めようと思いましたが、その度に気持ちを奮い立たせてくれる方々がいらっしゃいました。ここでは幾つかのエピソードを紹介します。

自殺するのを思い留まったんです

牛乳パックで紙相撲-春日部場所-が縁で2013年より埼玉県春日部市の「JazzDayかすかべ」の司会を山田大輔が担当しています。ある年のステージの合間。一人の女性が近づいてきて一言・・・

「私、紙相撲のファンなんです!」

話を聞くと、その方は以前より原因不明の病気に悩まされており外へ出歩くこともままならない日が多いとの事。その日は偶然にも体調がよく、おもいきって会場まで歩いてきてくれたそうです。

「毎日生きていても辛いので、自殺しようと思っていたんです。なんとか気持ちをつないでいたのがネット配信。偶然、紙相撲中継の存在を知ったんです」

「たまたま”引退ソング”を大輔さんが歌っていて、こんなバカな事やってる人がいるんだからもう少し生きててみようかなって笑」

牛乳パックで紙相撲はエントリーするだけが楽しみだけじゃなく観る楽しみも。時に紙相撲の対戦以外の(バカな)ワンコーナーにも需要はあるんだと実感。

もしも紙相撲で人の命を救える事が出来るなら、頑張って続けてみようと思った出来事です。

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お手紙のチカラ

牛乳パックで紙相撲の存続に何度となく大きな力となったのが全国各地から届いたお手紙です。

「Youtubeを毎週家族で楽しみに観ています!」

と、ご家族そろって力士を1つずつ作ってエントリーしてくださった方。お子様が作った力士は見事横綱に昇進!その力士の引退相撲の際にはメールをくださって、その時は高校球児になっていたというお知らせも。成長と共に紙相撲があったのは嬉しい事でした。

 

「子供が小学校から急いで帰ってきて紙相撲中継に夢中。土俵も作って実況を真似しています」

※左の写真

と紙相撲力士エントリーと一緒にお手紙をくださった親子もいらっしゃいました。後に伺うと学校では友達がいなくて、楽しい日々とは決して言えない中で見つけたのが紙相撲中継だったとか。その力士は見事に幕内優勝を果たし、その日の中継では親子で涙を流して観ていてくださったそうです。紙相撲の中継で感動の涙。スタート当初では考えられなかった出来事でした。

 

「エントリーしたのは支援学校に通っている中学生の息子なんです。コメントで絡んでくださってありがとうございます」

エントリーシートと共にお母さまのお手紙が添えられていた例もありました。いつも個性あふれる言葉でコメント欄を賑わせてくれていたので私たちとしては逆にありがたいと思っておりました。

実況にも興味を持ってくれたので、その後は交流会でゲスト実況を担当するなど大活躍。牛乳パックで紙相撲は個性を生かす場にもなりえると、私たちも勉強になった出来事でした。

実況を参考に紙相撲大会
やってます

実況中継によりこれまでの紙相撲にエンターテイメント性を加えているのが牛乳パックで紙相撲。その実況を活用してくださった方々がいらっしゃいました。

ある時、1通の依頼メールが。

「静岡県にある福祉施設の10周年記念で紙相撲大会をするのですが、そこで実況をお願いしたいです」

もちろんOKし福祉施設へ訪れると驚きの連続でした。

「本物の実況の方だ!いつも紙相撲中継を観てます!」

紙相撲大会の前半は施設のスタッフさんが実況をし、後半に山田大輔がゲスト実況をするという流れでした。リハーサルでスタッフさんの紙相撲実況を見ていると「あれ?」と気づいたことが。

「ぶつかりました!〇〇山が押す!」

使う文言、ちょっとした間など私の実況にそっくりだったんです。そしてスタッフさんの傍らにはノートがありました。

「山田さんの実況で何を言っているかノートにまとめてあるんです」

「定期的に施設では紙相撲大会をやっているんですが、山田さんの実況スタイルを取り入れてからは大盛り上がりなんですよ」

涙が出るくらい嬉しかったです。

紙相撲大会本番は皆様喜んでくださって、真剣に実況を聴いてくださるのがとても幸せでした。

紙相撲に実況を加える演出は、スタート当初「私たちにしか出来ない紙相撲を作ろう」という事から思いついたことです。それが認められたようで嬉しかった出来事でした。

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